河野 至恩
上智大学国文学会平成20年度冬季大会 2009年1月24日 上智大学国文学会
森鷗外の小説『百物語』(明治四十四年)の冒頭において、語り手が「此話でも万一ヨオロツパのどの国かの語に翻訳せられて、世界の文学の仲間入をするやうな事があつた時、余所の国の読者に分からないだらうか」と言って「百物語」の習俗を説明するくだりがある。鷗外がこの小説を著す四年前の明治四十年、英訳『舞姫』が西本波太の彩雲閣から出版され、翌年には二葉亭四迷訳のロシア語訳『舞姫』が横浜で創刊されたロシア語誌に掲載されるなど、明治末期の時点で、鷗外は自身のような近代日本文学の作家の作品がヨーロッパ語に翻訳される新しい現実を目の当たりにしていた。本発表では、「余所の国の読者」に読まれる可能性に言及するということの方法的な意義を考察した。