石井 紀子
アメリカ・カナダ研究 19(19) 85-122 2002年3月31日
アメリカ女性宣教師の研究は1970年代以降のアメリカ女性史の発展を受け、80年代半ば以降盛んになってきた。ただし、宣教研究は本国に残された資料の性質上、本国の宣教理念が宣教師にいかに反映されているかを明らかにすることに偏りがちである。本稿は、「宣教活動の本質は異なる文化の関係そのもの」とする1997年の宣教歴史家ダナ・L・ロバートによる指摘を踏まえて、1880年代1890年代に、神戸英和女学校(後の神戸女学院)で高等教育を推進するべく努力した3人の独身女性宣教師の活動を対象とした。反キリスト教の風潮が高まってきた1894年になぜ、高等教育が成立したのか、様々な困難にもかかわらず、この女性宣教師たちを高等教育実施へ向けて駆り立てた原動力は何なのか、考察したい。宣教活動を規定した様々な利害関係を調整しつつ、日本側の女子教育要望に鋭敏に反応したこと、そして自らの恩恵とみなした高等教育を日本女性の地位向上に役立たせたいという、プロフェッショナルとしての目的意識があったことを指摘したい。プロフェッショナリゼーションについて、アメリカ女性史では、世俗的職業について研究がなされたが、海外宣教地で活動した宣教師についてはこれまで論じられて来なかった。結果的に、日本での宣教経験は本国では得られないほど、女性に女性だけで事業展開を行う自治と自立の機会となった。