竹内 修一
Asian Horizons Vol. 4(No. 1, June 2010) 114-127 2010年6月 招待有り
「和」は、最も重要な徳の一つとして、個人の涵養においてだけでなく、社会あるいは共同体の養成・維持においても、重要な働きをしてきた。確かに、「和」の思想の背景には、仏教や儒教の影響はあるが、そこには独自性もある。
一方、キリスト教倫理の独自性は、イエスの福音にある。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)――これは、イエスが私たちに与えた新しい掟である。「和」という言葉こそ使われてはいないが、その意味するところは、キリストにおいて一つとなること、すなわち、すべての人がキリストの平和を生きることである。
「『和』」の心」と「キリスト教倫理」――これらは互いに排斥しあうものではなく、むしろ、共通の中心点を持っている。すなわち、「和」の心をいっそう涵養し習得すればするほど、ここ日本においても、イエスの福音を体現できるのである。