研究者業績

梅田 孝太

ウメダ コウタ  (Kota Umeda)

基本情報

所属
上智大学 基盤教育センター 思考と表現領域 特任助教
(兼任)研究機構常設研究部門 中世思想研究所 凖所員
立教大学 文学部 文学科 文芸・思想専修 兼任講師
聖マリアンナ医科大学 医学教育文化部門 非常勤講師
株式会社ShiruBe 哲学クラウド アドバイザー
学位
博士(哲学)(2014年3月 上智大学)
修士(哲学)(2006年3月 上智大学)

連絡先
umedak51gmail.com
J-GLOBAL ID
201401014975876402
researchmap会員ID
B000236706

現在、上智大学基盤教育センター特任助教として初年次教育を担当。専門は哲学・倫理学。

  • 哲学 近現代ドイツ思想、とりわけニーチェやショーペンハウアーの「生の哲学」について研究。その成果として『ショーペンハウアー:欲望にまみれた世界を生き抜く』(講談社現代新書、2022)や『ニーチェ:外なき内を生きる思想』(法政大学出版局、2021)を刊行。
  • 倫理学 近現代ドイツ思想の実践的な意義を規範倫理学や道徳批判の観点から研究。論文「自律と同情の対立:共感の時代におけるニーチェの他者論」(『倫理学年報』73, 2024)や論文「ニーチェ思想における徳としての正義:懲罰主義に対する批判」(『哲学』73, 2022)などを刊行。
  • 思想史 19世紀ドイツ哲学・倫理学研究をベースとして、それらを中世哲学、近代ドイツ人文主義、現代の死刑論(フランス現代思想・デリダ)、現代の暴力論等と関連づける領域横断的なテーマ設定での研究に取り組んできた。
    1. 中世哲学(トマス・アクィナスの存在論)×19世紀ドイツ倫理学の研究:論文「ショーペンハウアーの良心論:「道徳の基礎について」における自己認識の倫理学」(『ショーペンハウアー研究』21、2016)刊行
    2. 近代ドイツ人文主義(フンボルト・ヴィーコ)×20世紀ドイツ言語哲学の研究:共訳書『人文主義の言語思想:フンボルトの伝統』(岩波書店、2020)刊行
    3. 現代の死刑論(20世紀フランス哲学・デリダ)×19世紀ドイツ哲学の研究(ニーチェの刑罰論)の研究:共著書『デリダと死刑を考える』(白水社、2018)および「附論II デリダの死刑論とニーチェ:罪と罰の脱構築に向けて」『ニーチェ:外なき内を生きる思想』所収(法政大学出版局、2022)刊行
    4. 現代の暴力論×宗教文化史の研究:共訳書『暴力:手すりなき思考』(法政大学出版局、2020)刊行
  • 哲学プラクティスの研究・教育および実践 これまで取り組んできた哲学・倫理学研究の実践的な展開として、一般向けの哲学カフェ実践、高等教育機関での哲学対話についての講義担当、企業向けの哲学プラクティスの監修・開発・実施に取り組んでいる。

主要な論文

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  • 梅田孝太
    倫理学年報 (73) 155-166 2024年3月31日  査読有り
    現代は共感の時代と呼ばれ、共感を道徳的な社会を構築するための基盤とみなす思想潮流がある。こうした共感論については近年、理性主義の側から批判的吟味が行われている。共感が〈理性の他者〉であり、本能的な傾向性にすぎないのだとすれば、わたしたちはそれに従って判断するべきではない。こうした理性主義からの応答には、自律論の伝統が影響している。自律とは、自らに法を与える自己立法であり、他律とは他者によって法を与えられることである。 だが、そもそもわたしたちは、自己なるものと他者なるものを完全に区別することができるのか。本稿が主題化するのは、徹底的な自律と他者への同情とのあいだを揺れ動くわたしたちの心の葛藤についてのニーチェの鋭い洞察である。 先行研究によれば、ニーチェのいう自律は、自己支配や自己統制という自己関係的なものとしてとらえることができるのだという。だが、これに対して本稿が主張するのは、ニーチェの自律論が前提としているのは、自律は他者との関係を基盤としてはじめて成り立つものだということである。その論拠となるのは、ニーチェが自律について論じている箇所の多くが、他者への同情を禁止するというコンテクストを持っているということである。つまり、ニーチェにとって自律とは、他者への同情に引きずられつつも、それを断ち切るというかたちではじめて成立するものなのである。この点の解明が本稿の第一の成果である。 さらに、この論文の成果は、現代の共感論のみならず反共感論をも批判する哲学的な論点をそれぞれ提示した点にある。すなわち、共感というものが他者の苦しみへの一方的な感情移入であるとき、それが他者の他者性を消去してしまうことをニーチェは批判する。また、反共感論に対しては、自律による自己立法が普遍性を確保できないものであるならば、そのとき自律はその都度の具体的な他者との関係を前提とせざるをえないのではないか、という論点を提示した。
  • 梅田孝太
    『哲学』 73 152-162 2022年4月1日  査読有り
    本稿で提示したのは、ニーチェの道徳批判における基本的な考え方は、復讐心の否定だというテーゼである。ニーチェは、時期を問わずに一貫して、「罪人はその罪を罰せられるべきだ」という考えを、ヨーロッパのさまざまな道徳の発展を方向づけたひとつの巨大なドクサと見なして批判している。これを言い換えるならば、ニーチェの倫理学は全体として、懲罰主義を悪とし、和解と赦しを美徳とする徳倫理学として整理することができる、ということである。本稿が具体的にリサーチクエスチョンとしたのは、ニーチェの正義論もこの文脈で読み解き、他者との公正な関係の回復を目指す道徳哲学として評価すべきではないか、ということである。 ニーチェの中期著作である『人間的な、あまりに人間的な』における正義論は、二次文献によって、「ほぼ同等の力を持つ当事者間の均衡としての正義」という「正義の起源」を指し示す言説として解釈されている。この論点をさらに推し進めて本稿で主張したのは、ニーチェが道徳を批判する文脈に着目するべきだということであり、そこでは報復的な正義の観念がヨーロッパの様々な道徳の基礎となり、その発展を方向づけてきたと批判的に論じている、ということである。 さらに、後期ニーチェの『道徳の系譜学』における正義の概念は、先行研究によって、「慈悲としての正義」と解釈されている。その議論においても、懲罰的な正義への批判の文脈を強調すべきである。ニーチェは「私たちはルサンチマンを捨てて他者を赦し、罰することをやめるべきだ」と主張している。さらに言えば、わたしたちは心理的な「強さ」をもつ必要があるということ、それを基盤として懲罰への欲望を捨てるべきだということをニーチェは規範的に主張しているのである。そうして本稿が結論としたのは、私たちはニーチェの正義論を、懲罰主義への批判という文脈のうちで読むべきだということである。
  • 梅田孝太
    ミシェル・アンリ研究 10 49-59 2020年6月28日  招待有り
    先行研究はニーチェ思想を古代ギリシア・ローマ以来のセラピーとしての哲学の伝統に位置付けてきた。中期ニーチェ著作からニーチェのエピクロス的なセラピーを再構成することができるからだ。本稿では、ニーチェのセラピーの対象を近代人に限定することで、セラピーとしての哲学の伝統との確かな連続性とゆるやかな区別を提示した。本稿のハイライトは、ニーチェが近代人の「生きる苦しみ」に対して、その苦の原因の排除や理論的解決ではなく、「苦の中の認識の悦び」を見出すよう提案していると解釈した点である。
  • 梅田 孝太
    『ショーペンハウアー研究』ニーチェ特集 Sonderausgabe(3) 24-43 2016年12月  査読有り
    ニーチェの『道徳の系譜』第二論文は, 先行研究によれば, キリスト教道徳に対する批判を展開しており, 「良心の疚しさ」の克服(「主権的個人」)への道のりだとされてきた. 本論文では、ニーチェは「良心の疚しさ」を端的に拒絶したのではなく, 「なぜ人間は自らを責め、罰するのか」を問う独自の観点から再評価しようとしたという読み筋を示した.
  • 梅田 孝太
    『ショーペンハウアー研究』 (21) 99-123 2016年10月  査読有り招待有り
    従来, ショーペンハウアーの倫理学は「共苦」の倫理学とされてきた. これに対し本論文は、『倫理学の二つの根本問題』の「道徳の基礎について」に「良心」の倫理学としての読み筋があることを明らかにした. その良心論には中世スコラ学からの影響が見受けられることも指摘. ショーペンハウアーの「良心」は, 「自己自身との面識」をもたらすもの, 自己が自己によって知られる契機を与えるものとして規定できることを示した.
  • 梅田 孝太
    『哲学論集』 (44) 7-20 2015年10月  招待有り
    十九世紀末といえば, ニーチェが「神の死」を宣告し, マッハが「絶対的なもの」への疑問符を投じた時代である. つまり, なおも諸科学のうちに残っていた独断的な形而上学の残滓を一掃することを自らの課題とした「思想家」たちの時代であった. だが, 彼らによる形而上学批判は端的に理性の限界を定めるような批判に尽きるものではない. むしろ彼らが自然主義的な認識の限界内で可能な目指すべき価値を論じているという点に着目し, とりわけニーチェの「永遠回帰」説について、生の肯定の思想として論じた.
  • 梅田 孝太
    『哲学論集』 (第41号) 97-112 2012年10月  査読有り
    ニーチェの『反時代的考察』の第二篇「生に対する歴史の利害について」でニーチェは科学化へ向かう歴史学を批判し, 「生に奉仕する歴史」を考案していることが先行研究によって明らかにされてきた. 本稿では, ニーチェの歴史哲学的と呼べる思惟が, 処女作『悲劇の誕生』とも接続可能な「過去といかに向き合うか」という問題設定をもっていることを明らかにした. これにより, それまで『悲劇の誕生』のみ分離してきた従来のニーチェ哲学解釈に対し, 通時的な問題設定が可能であることを示した.
  • 梅田 孝太
    『実存思想論集』 XXVI(Vol. 2 No. 18) 101-116 2011年6月  査読有り
    先行研究によれば, ニーチェは「精神」に対する「肉体」の優位を唱えた思想家であるとされる. 本論文では、ニーチェの「肉体」(Leib)の概念固有の内実を解明するため, 遺稿および『ツァラトゥストラはこう語った』を分析. その結果、19世紀の生理学的知識からニーチェの「肉体(Leib)」論が受容した影響が明らかになった. ニーチェは機械論的な「身体」(Körper)概念や古代ギリシア以来の「物体」概念ではなく, 「魂を持つ肉体」(Leib)概念をその人間観の中心に据えていたという点を, テクスト解釈と影響関係の証明、また語源学的分析によって指摘したのが本論文のハイライトである.
  • 梅田 孝太
    『ショーペンハウアー研究』ニーチェ特集 Sonderausgabe(2) 26-42 2009年9月  査読有り
    従来のニーチェ研究においては「権力への意志」が脚光を浴び, ニーチェが「力」という語を用いるとき, それは端的に「権力への意志」に等しいと考えられてきた. 本論文はニーチェの『善悪の彼岸』(一八八六年)および一八八〇年代の遺稿群から, 「権力への意志」と「力」の概念との関わりを浮き彫りにし, 後期ニーチェ哲学の中心概念である「権力への意志」についてその成立史をたどるべく, 19世紀の物理学における「力(Kraft)」概念の意味を再構成し, ニーチェがそれに対する批判として「権力(Macht)」という語を用いるようになった思索の道のりを示した.
  • 梅田 孝太
    『哲学論集』 (37) 85-100 2008年  査読有り
    本論文のねらいは、『善悪の彼岸』において表明されたニーチェ心理学の全体像の描出であった。ニーチェ自身による「心理学」の定義は「権力への意志の形態学であり発展論」というものである。先行研究の多くは、この点から生理学なり生物学に精通した科学者然としたニーチェ像を打ち出している。これに対して本稿は、ニーチェ心理学が「霊魂原子論」としての旧来の霊魂観及び因果論を批判し、霊魂複数説という考えを打ち出している点に重点を置き、哲学的心理学としてのアプローチを含有していることを示した。

MISC

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主要な書籍等出版物

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  • 鹿島 徹, 川口茂雄, 佐藤慶太, 渡辺和典 (担当:分担執筆, 範囲:ニーチェ)
    ミネルヴァ書房 2024年10月29日 (ISBN: 4623085244)
  • 梅田 孝太
    講談社 2022年9月15日 (ISBN: 4065296021)
    本書はショーペンハウアー哲学の入門書であり、講談社現代新書の「現代新書100(ハンドレッド)」第一弾として2022年9月に牧野雅彦著『ハンナ・アレント』とともに刊行された。本書の特徴は、「人生は苦しみである」というショーペンハウアーの洞察を現代に生きるわたしたち自身の苦しみと重ね合わせ、今を生きる思想として再構成した点にある。第二に、ショーペンハウアー哲学の①苦しみを見つめ「意志の否定」にいたろうとする主著『意志と表象としての世界』の峻厳なる求道の側面と、②苦の中での幸福について省察する『余禄と補遺』の人生論という二つの側面に光を当て、それらをあわせて理解することでショーペンハウアー哲学のより豊かな全体像が明らかになるということを示した点にある。
  • キリスト教文化事典編集委員会, 梅田孝太 (担当:分担執筆, 範囲:「<ドイツ語圏>ニーチェと「神の死」」)
    丸善出版 2022年8月30日 (ISBN: 4621307150)
    19世紀ドイツの哲学者ニーチェの「神は死んだ」という言葉をめぐって、その源泉、用例、意味づけ、受容史について解説。
  • 梅田 孝太
    法政大学出版局 2021年3月26日 (ISBN: 4588151177)
    本書はニーチェ哲学の中心課題を「ニヒリズムの克服」に見定める研究書である。先行研究の多くは権力への意志説に着目し、それを一部の遺稿から再構成することによって、ニーチェによる「ニヒリズムの克服」を人間一般の生の肯定の問題として説明してきた。これに対して本書では、初期から後期の公刊著作におけるニーチェの哲学的な議論がたどった道筋を再構成したうえで、ニーチェが主題化していたのは「この生」の肯定による「ニヒリズムの克服」だという結論を提出している。本書が規定する「この生」とは、個人的で、歴史的で、実存的な生、各人の「意志」によって生きられる生であり、ニーチェ哲学の全体像は「この生」を主題化した実存思想ないし倫理思想である。そうして本書が提示したニーチェ像は、「この生」の肯定に向けて「意志」の回復に取り組んだ心理学者ないし哲学的なセラピストとしてのニーチェである。
  • 梅田 孝太, 大久保 歩, 大森 一三, 川口 茂雄, 渡辺 和典, 川口, 茂雄, 渡邉, 和典 (担当:共訳, 範囲:第5章「ヤン・アスマン――モーセ的区別と宗教的暴力」(207–254頁)) (原著:Array)
    法政大学出版局 2020年12月18日 (ISBN: 458801126X)
    戦争や暴動がすぐそばにある時代に、私たちは「暴力」をどう考えればいいのか。早急な正当化や基礎づけ主義、ニヒリズムに抗して、自由で公平な議論を創り出すために、暴力をめぐる絶えざる反省、「手すりなき思考」が今こそ必要だと問いかける。暴力について深く考え抜いた5人の思想家、シュミット、ベンヤミン、アーレント、ファノン、アスマンの書物から、根源的な暴力論を切り開く。
  • 川口, 茂雄, 越門, 勝彦, 三宅, 岳史 (担当:分担執筆, 範囲:コラム「フランスでニーチェはどう語られてきたか」(329-330頁))
    ミネルヴァ書房 2020年7月13日 (ISBN: 4623084981)
    本書は19世紀から今日までのフランスの主要な思想家120名の人物・思想の解説書であり、現代フランス哲学のグローバルな影響を考え、その見取り図を提供。担当箇所ではニーチェ思想がどのようにフランスおよび現代思想全体に影響を与えたのかを解説。
  • 村井 則夫, 齋藤 元紀, 伊藤 敦広, 梅田 孝太, 辻 麻衣子, 辻, 麻衣子 (担当:共訳, 範囲:「第6章 新たな言語の成立――ロマンス諸語の誕生」(149–172頁)、「第7章 ヴィーコとフンボルトにおける想像力と言語」(173–210頁)) (原著:Array)
    岩波書店 2020年2月9日 (ISBN: 4000613960)
    本書は、はたして人間一般に共通の知性はありうるのかという根本問題を背景に、多様な言語と文化についての比較研究を行ってきたW・フンボルトら人文主義者たちの議論の伝統と思考の道筋を明らかにする壮大な思想史である。
  • 高桑, 和巳, 鵜飼, 哲, 江島, 泰子, 梅田, 孝太, 増田, 一夫, 郷原, 佳以, 石塚, 伸一 (担当:共著, 範囲:第3章「デリダの死刑論とニーチェ――有限性についての考察」)
    白水社 2018年12月 (ISBN: 9784560096710)
    デリダの『死刑Ⅰ』は「死刑に反対する哲学」を論じる中で、ニーチェの『道徳の系譜学』を参照している。デリダの死刑論はニーチェ思想からどのような影響を受けたのか。本稿の成果は、①デリダが『道徳の系譜学』精読によって身につけた「ニーチェ的身振り」という思考技法の射程と限界を明らかにし、また、②デリダとニーチェがいずれも認識の有限性を思索の出発点とすることによって「そもそも法とは何か」という哲学的問題意識を持っていたことを浮き彫りにしたことにある。
  • 梅田孝太 (担当:分担執筆, 範囲:「神の死(ニーチェ)」、「良心(ニーチェ)」(原稿は出版社に提出済み))
    ミネルヴァ書房

講演・口頭発表等

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  • 梅田孝太
    上智人間学会第52回大会ワークショップ「友愛の可能性」 2024年9月13日  招待有り
    本提題ではまず現代日本社会における「友人」関係の希薄さについて国際比較データをもとに指摘することで社会問題としての「友だち」問題を取り上げ、そのうえで現代社会に蔓延する「友情」についての臆見をデリダによる指摘を手引きとして分析し、そもそも「友情」とは何なのかをカントおよびニーチェによる原理的な考察から探り、「現前しない他者との友情」という観点を提示した。
  • 梅田孝太
    科研費「「共感の時代」におけるショーペンハウアーとニーチェ――同情/共苦論の再検討」(基盤研究C 22K00038)第二回研究会研究発表 2023年8月23日
    ニーチェの自律論は、先行研究では「自己関係」として解釈されてきた。これに対して、本発表では、ニーチェの自律についての言説が同情禁止論のコンテクストのうちにあることを隠れた前提として解明することによって、自律と他律(理性と情動)の二者択一の図式を脱構築する解釈を提示し、かつニーチェの自律論から現代の共感論および反共感論に対する批判的視座を得られることを示した。
  • 梅田孝太
    科研費「「共感の時代」におけるショーペンハウアーとニーチェ――同情/共苦論の再検討」(基盤研究C 22K00038)第一回研究会研究構想発表 2022年8月23日  招待有り
    本発表は、ニーチェ哲学における共同体論の可能性と理論的射程について、個人と共同体の関係を中心に論じたものである。先行研究が強調してきたニーチェのエリート主義をより穏健な徳倫理として再解釈するための端緒を模索し、ニーチェのエゴイズム批判に着目することを提案。
  • 梅田 孝太
    Internationale Konferenz: Was bedeutet Verneinung des Willens? - Schopenhauers Erlösungslehre und die Religionsphilosophie (Internationaler Kongreß " Das Hauptwerk. 200 Jahre Arthur Schopenhauers Die Welt als Wille und Vorstellung" vom 23.10. bis 26.10.20 2019年10月26日  招待有り
    国際的な研究者間の交流を目的とする本会議では、拙論「ショーペンハウアーの良心論―「道徳の基礎について」における自己認識の倫理学」(『ショーペンハウアー研究』第21号、日本ショーペンハウアー協会、2016年)のドイツ語訳を資料として配布した上で、ショーペンハウアーの「道徳論文」を良心論として読むという道筋を口頭で再検討した。ショーペンハウアーの経験哲学的な側面を集中的に再度分析し、ショーペンハウアーの倫理思想およびその他者論を良心教育の問題に応用することができるのではないかという論点に重心を置いて考察を深めた。
  • 梅田 孝太
    日本ミシェル・アンリ哲学会第11回研究大会シンポジウム「『精神分析の系譜』再読(1)ショーペンハウアーとニーチェをめぐって」 2019年6月8日 日本ミシェル・アンリ哲学会
    本発表では、ミシェル・アンリの『精神分析の系譜』におけるニーチェ解釈が、ニーチェを感情の哲学という思想史上の伝統のうちに明確に位置づける際の傍証となるということを強調した。また、そのニーチェ解釈が、今日の専門研究者の間で重要な論点となっている『悲劇の誕生』における「生の是認」問題、また『道徳の系譜学』における「強者と弱者の区別」問題に対する具体的な回答を提示していることも指摘した。
  • 梅田 孝太
    第31回ニーチェ・セミナー 2019年5月4日 日本ショーペンハウアー協会
    ニーチェの「強者」(die Starken/ der starke Mensch)概念は研究者にとって悩みの種のひとつだ. とりわけニーチェ哲学を倫理学的観点から研究し, 「強者」/「弱者」の区別を独自の徳の規準として採用しようとする場合には様々な困難がある. そこで本発表では, この分野の研究が第一に方法的に論じるべきこととして, ニーチェがコミットしている価値内容の提示と, ニーチェによる人間一般の価値追求についてのメタ倫理学的主張との分析的な区別を設定した.
  • 梅田 孝太
    「ニーチェにおける科学主義と反科学主義の再検討――ショーペンハウアーとの対比のなかで」(日本学術振興会基盤研究(C)課題番号17K02183)第二回研究会ワークショップ「科学と生」 2018年8月28日
    本発表では, ニーチェを「科学主義」ないし「自然主義」的と評価する最近の解釈潮流に対して, それが取りこぼしてしまう「反科学主義」, 「芸術家」的なニーチェのテクストに着目した. そうすることで, むしろニーチェの科学論が逆照射されるようにして明らかになるという目算であった. はたしてその成果として, ニーチェが科学と芸術とを厳密に区別することなく, むしろ両者を相補的な関係にあるものとして考えていたことを示した.
  • 梅田 孝太
    「ニーチェにおける科学主義と反科学主義の再検討――ショーペンハウアーとの対比のなかで」(日本学術振興会基盤研究(C)課題番号17K02183)第二回研究会個人研究発表 2018年8月27日
    ニーチェ研究の内外で大きな論争空間を形成しているニーチェの「自然主義」的解釈は, 科学主義的解釈とも呼ばれる. だが, 科学主義的ニーチェ解釈が, ニーチェ哲学のモチーフを, 先行研究が指摘してきたように人間の本質の解明ないし自然化や, そうして発見された自然に照らしての価値の再評価に限定するものであるとき, 解釈上の多様な問題点を抱えることになると考えられる. 本発表はこの問題点のうち, ①ヤスパースやハイデガー, サルトル, カミュらが取り組んできたような実存思想としてのニーチェ解釈との整合性, および②科学主義的ニーチェ解釈が接続できない初期ニーチェの形而上学的思惟について検討を加え, 初期の実存思想および形而上学的思惟こそがニーチェの科学主義的言説の源泉の一つとして考えられることを指摘した.
  • 梅田 孝太
    シンポジウム「デリダと死刑を考える」(主催:高桑和巳(慶應義塾大学「学事振興資金」を利用) 後援:慶應義塾大学教養研究センター 協賛:アムネスティ・インターナショナル日本、脱構築研究会、白水社) 2017年10月7日  招待有り
    デリダ晩年の死刑についてのセミネールの第一年度分を収録した『死刑Ⅰ』(2012)は, その名のとおり死刑を主題とするものである. そこでデリダは集中的にニーチェの『道徳の系譜学』(1887)を参照しているが, それがどんな役割を果たしているのかは明示的ではない. ニーチェは死刑について主題的に論じていないからだ. 本発表のねらいは, デリダの死刑論におけるニーチェ思想の位置付けを探ること, とりわけ『死刑Ⅰ』の内在的な構造において、第六回講義におけるニーチェの参照が果たした役割を探ることであった. その結果、デリダの死刑講義とニーチェ思想が〈そもそも法とは何か〉という哲学的問題意識を共有していることが明らかになった.
  • 梅田 孝太
    「ニーチェにおける科学主義と反科学主義の再検討――ショーペンハウアーとの対比のなかで」(日本学術振興会学術研究助成基金助成金・基盤研究(C)課題番号17K02183)第一回研究会ワークショップ 2017年8月29日  招待有り
    本発表では, ニーチェの『悦ばしき科学』における科学論をめぐって, 英米圏におけるニーチェの自然主義的解釈およびドイツにおける文献学的研究を手引きにしながら, ニーチェ自身が科学ということでいかなる営みをイメージしていたのかを浮き彫りにすることを試みた. その結果として, ニーチェは端的に今日的な自然科学像のみならず, それを支えるものとしての人間の芸術的感性や, 科学をその外側から導く価値理想を重視していることが明らかになった.
  • 梅田 孝太
    日本哲学会第76回大会哲学教育ワークショップ 2017年5月19日
    哲学対話と哲学研究の関係について, 研究者の立場から議論の糸口を提示. そこで強調したのは, 哲学対話の場における哲学研究者が研究を通じて身につけてきたはずの誠実さの重要性である. 哲学研究者は, 書物を通して先人の問いに誠実に耳を傾け、理解する訓練を積んできている. だから他者の言葉を傾聴し, 共有しながら議論の交通整理をする技能を身につけているはずで, それを対話にも応用できると結論した.
  • 梅田 孝太
    秋田県立大学公開講座「秋田哲学塾」 2016年6月19日  招待有り
  • 梅田 孝太
    日本ショーペンハウアー協会第28回全国大会シンポジウム「意志論から見た倫理学の諸問題」 2015年11月28日  招待有り
    従来, ショーペンハウアーの倫理学は「共苦」の倫理学とされてきた. これに対し本論文は、『倫理学の二つの根本問題』の「道徳の基礎について」に「良心」の倫理学としての読み筋があることを明らかにした. その良心論には中世スコラ学からの影響が見受けられることも指摘した. ショーペンハウアーの「良心」は, 「自己自身との面識」をもたらすもの, 自己が自己によって知られる契機を与えるものとして規定できることが明らかになった.
  • 梅田 孝太
    上智大学哲学会第81回大会シンポジウム「ニーチェ――世紀末の思想家は何を表現したかったのか」 2014年10月26日  招待有り
    ニーチェが「権力への意志」という語で問題にしている領域は幅広く, 存在論, 認識論など多岐にわたる. 本発表ではまずこうした問題領域に拘らずに権力への意志説を通じてニーチェが提示した, 「個々の生存を越えた諸個物総体の未来」という理想を率直に明らかにした上で, あらためてニーチェ哲学の現代的意義をめぐっての議論の糸口を実践哲学や美学の領域から提示した.
  • 梅田 孝太
    日本ショーペンハウアー協会第21回ニーチェ・セミナー 2014年5月3日
    本発表では, 『道徳の系譜』第二論文を前半部と後半部とに分け, とりわけ先行研究を混乱させてきた前半部の「主権的個人」という概念装置及び「残酷さ」という生の本質の規定について, これらを歴史著述として批判的に検討することで, 後半部の「良心の疚しさ」を相対化する系譜学的著述部分のコンテクストを再構成することを試みた. 結論としては, ニーチェは「第二論文」で「意識」という「病」からの解放を呼びかけているものの, それが不可能であることを了解していると解釈した.
  • 梅田 孝太
    日本倫理学会第63回大会 2012年10月14日
    すべての出来事はあらかじめ決定されていたとおりに必然的に起きたのか, それとも自由に選び取ることができたのか. 1990年代からの英米での研究では, ニーチェの後期著作に自由論と決定論との両立論の図式を読み取る向きが顕著になった. 本発表もこの両立論としてのニーチェの自由論を、とりわけ研究の少ない中期著作の「自由意志」批判や「権力感情」論、「気質」論といったコンテクストのうちに見出すことができることを明らかにした.
  • 梅田 孝太
    Eco-Sophia Symposium 2011 -8th International Whitehead Conference- 2011年9月27日
    「わたしたちは(とりわけ3.11以降に)これまでどおりに生活していってもよいのか」。このエコと生活についてのこの問いをめぐって、本発表では、わたしたちの住むべき「家」について考察した。とりわけ「エコ」という概念の由来をアーレントの『人間の条件』を手引きとして古代ギリシアの「オイコス」概念に求め、そこからわたしたちが住まうべき「家」と、わたしたちが失ってしまった人間の「自然」との関係を問い直すことを試みた。
  • 梅田 孝太
    日本哲学会第69回大会 2010年5月16日
    本発表ではまず、ニーチェの意志の概念が、19世紀の心理学に由来するものであるという先行研究の示した筋書きを辿った。ただし、とりわけ本稿が着目したのは、ドイツの心理学者ヴントとフランスの心理学者リボーからの影響である。両者の意思決定論の心理学に着目することで、『悦ばしき知識』以降のニーチェの意志論の思想源泉が明らかになる。また、「健康と病気」がニーチェ心理学の主題のひとつであることが指摘できた。
  • 梅田 孝太
    日本ショーペンハウアー協会第13回ニーチェ・セミナー 2010年5月3日
    ニーチェはニヒリズムという語を, もっぱらキリスト教道徳やプラトニズムの二世界説を批判する文脈で用いている。だが、「ヨーロッパの最初の完全なニヒリスト」だと自認している表現もある。この矛盾の解消のために本稿では、ニーチェの思惟のうちでのニヒリズム概念の受容からその確立及び多様化までを時系列順にまとめ、歴史的・文化的現象としてのニヒリズムがニーチェによって〈病〉として発見され、「快癒」に至った経緯を跡付けた。
  • 梅田 孝太
    実存思想協会・春の研究会 2009年3月16日
    本発表は, まずニーチェの「肉体Leib」論が西洋哲学思想史の中で如何なるコンテクストにあるのかを明らかにした.その上で、ニーチェが形而上学的な実体の想定を思惟の制約として批判するテクストと肉体論との関わりを示し, それが単なる批判に終わらず, 現象論としての意義をもっていることを示した. ニーチェは「肉体」を, 理性や意識によらない哲学的思考の立脚点であり, そこからあらゆる現象が感情や衝動によって色付けされる遠近法的な現象世界の中心点としていることを明らかにした.
  • 梅田 孝太
    上智大学哲学会第67回大会 2007年10月28日
    本発表で注目したのは, ニーチェ自身が自らを「権力への意志の形態学であり発展論」としての「心理学」に従事するものとして規定しているという点であった. 先行研究の多くは生理学なり生物学に精通した科学者然としたニーチェ像を打ち出してきた. だが本発表では, ニーチェ心理学について、それが「霊魂原子論」としての旧来の霊魂観及び因果論を批判し, 霊魂複数説を打ち出している点に重点を置き、哲学的心理学(霊魂論)としてのアプローチをもっていることを明らかにした. また, ニーチェ心理学は, 従来の心身論で用いられてきた「霊魂」・「身体」概念でなく, それらの境界を取り払った「生」の現実としての「肉体der Leib」概念との連関で語られているということを指摘した.
  • 梅田 孝太
    日本ショーペンハウアー協会第5回ニーチェ・セミナー 2006年5月5日
    本発表が取り扱った主要な問いは, ニーチェが言うように「真理」など存在せず解釈しかないならば, 如何にしてその解釈は説得力ある〈知〉足り得るのか?というものであった. 真‐偽という尺度の絶対性なくしてなお, 或る解釈の説得力が確保されうるならば, そこには〈知〉のオルタナティヴな尺度がなければならない. この問題を扱うために, ニーチェの権力への意志説がなぜ「〈権力〉への意志」であるのかを考察し, 意味の統制力として〈権力〉概念を解釈することを結論づけた.

担当経験のある科目(授業)

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  • 2022年9月 - 現在
    演習F28  (立教大学)
  • 2022年9月 - 現在
    哲学対話  (上智大学)
  • 2022年4月 - 現在
    思考と表現  (上智大学)
  • 2022年4月 - 現在
    知の探求  (上智大学)
  • 2020年4月 - 現在
    哲学  (聖マリアンナ医科大学)

学術貢献活動

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社会貢献活動

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その他

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  • 2019年11月 - 2019年11月
    上智大学中世思想研究所主催ワークショップ「近世オランダにおけるカトリックの生存戦略」(神学・哲学史研究会共催、Sophia Open Research Weeks 2019参加企画)の企画・運営・司会を阿部善彦氏・加藤喜之氏とともに務める。2019年11月19日、上智大学にて開催。
  • 2018年11月 - 2018年11月
    上智大学中世思想研究所主催講演会「近世スコラ学における共同体思想の発展」(神学・哲学史研究会共催、Sophia Open Research Weeks 2018参加企画)の企画・運営・司会を阿部善彦氏・坂本邦暢氏とともに務める。2018年11月17日、上智大学にて開催。
  • 2017年11月 - 2017年11月
    上智大学中世思想研究所主催講演会「キリスト教霊性の本質」(神学・哲学史研究会共催、Sophia Open Research Weeks 2017参加企画)の企画・運営・司会を阿部善彦氏・坂本邦暢氏・加藤喜之氏とともに務める。2017年11月19日、上智大学にて開催。
  • 2016年11月 - 2016年11月
    上智大学中世思想研究所主催講演会「中世における平和の諸相」(神学・哲学史研究会共催、Sophia Open Research Weeks 2016参加企画)の企画・運営・司会を阿部善彦氏とともに務める。2016年11月20日、上智大学にて開催。
  • 2015年11月 - 2015年11月
    上智大学中世思想研究所主催講演会「中世における愛の諸相」(女性神秘思想研究会共催、Sophia Open Research Weeks 2015参加企画)の企画・運営・司会を阿部善彦氏とともに務める。2015年11月22日、上智大学にて開催。